熊よけスプレーに関する⽶国EPA制度の正確な理解と⽇本国内での妥当性評価

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⽇本護⾝⽤品協会 2025年12⽉10⽇

⽬ 次

  1. ⽶国EPA制度に関する正確な理解
    (1)EPAは『性能基準を策定する認定機関』ではない
    (2)⽶国EPA制度は北⽶のヒグマ⽣息環境を前提としている
    本章のまとめ
  2. ⽶国EPA性能範囲とは異なる熊よけスプレーの⽇本における妥当性評価
    (1)熊種に応じた妥当性
    (2)噴射パターンの妥当性
    (3)噴射距離の妥当性
    (4)成分の種類と強度の妥当性
    (5)携帯性の妥当性
    本章のまとめ
  3. 結論
  4. 補⾜:本⽂書の根拠となる⼀次情報⼀覧

近年、⽇本における熊よけスプレーと⽶国EPA(環境保護庁)の制度的な関係性について、⼀部報道・SNS・⼝コミ等を通じて誤解が広がっている可能性が指摘されています。

とくに、EPA制度を『性能を保証する基準』と誤解したまま、それを⽇本国内へ直接適⽤しようとする論調がみられます。このような状況が続いた場合、国内の熊対策における判断が不適切となり、利⽤者の安全に影響が及ぶ可能性があります。

⽶国のEPA制度とその背景を整理すると、以下の点が明らかになります。

  • EPA登録判断には『⼀定の性能範囲』が存在するとみられるものの、公式な性能基準の公開は確認できない
  • EPA登録製品の性能帯は北⽶ヒグマへの使⽤を前提として形成されている

この事実を踏まえると、EPAの公式情報に基づかない性能基準を前提にした論調の形成は、熊よけスプレーの妥当性判断にゆがみを⽣じさせる恐れがあります。

さらに、⽇⽶の環境差を考慮しない性能要求は、⽇本国内の熊種・⽣息環境・利⽤実態とは必ずしも整合しません。

以上を踏まえ、本⽂書が⽰す要点は次の通りです。

  • 『EPA基準』や『EPA認証品』といった概念は、EPA制度上その存在を確認できません
  • ⽶国EPAの枠組みを、そのまま国内に適⽤することは、⽇本の熊対策における最適解ではありません
  • EPA性能範囲とは異なる製品を⼀律に排除することは、⽇本の実情を踏まえると合理的ではありません

本⽂書は、『⽇本の熊対策に携わるすべての⽅が、制度・環境・製品特性を正しく理解し、実態に即した判断ができるよう、客観的に情報を整理し提供すること』を⽬的として作成したものです。

なお、本⽂書は特定の媒体や特定の記事に向けた反論を⽬的とするものではありません。

1. ⽶国EPA制度に関する正確な理解

⽶国の熊よけスプレーにおけるEPA制度を理解するには、以下の2点が重要です。

  1. (1)米国EPAは製品の表示内容を審査登録する機関であり、『性能基準の制定』や『製品の認証』を行う組織ではない
  2. (2)米国EPA登録の熊よけスプレーの対象は『ヒグマ』である

これらの理由は以下に⽰す通りです。

(1)EPAは『性能基準を策定する認定機関』ではない

⽶国EPA(環境保護庁)は、国内ではしばしば「熊よけスプレーの基準を定める機関」として⾔及されますが、⼀次資料・制度⽂書を確認するとそのような事実は認められません。

EPAが運⽤しているのは、熊よけスプレーを含む、殺⾍剤・忌避剤(pesticide)の登録制度(Registration)です。

具体的には、EPAは申請者が提出した以下の製品情報を審査します。

  • 成分・毒性情報
  • ⽤途表⽰の妥当性(例:bear spray と表⽰してよいか)
  • 注意事項や使⽤⽅法
  • 製造⼯場の登録

⼀⽅でEPAは以下を⾏いません。

  • 性能試験の実施
  • 噴射距離・噴射時間などの『性能基準』の制定
  • 製品の効果保証
  • 認定マークの付与

したがって、『EPA認定』『EPA基準を満たす製品』といった⾔葉は、制度上の正式な表現ではありません。

また、EPAの公開⽂書など⼀次資料には、噴射距離・噴射時間といった数値基準の明⽂化は確認されていません。

なお、本⽂書の意図は『EPAが熊よけスプレーの性能を全く考慮せずに登録している』と結論付けるものではなく、あくまで『公式な数値基準として公表されていない』という事実関係を指摘するとともに、『EPA認定』『EPA基準を満たす製品』といった表現が国内において誤解の上で定着することを懸念するものです。

(2)⽶国EPA制度は北⽶のヒグマ⽣息環境を前提としている

熊にはヒグマ系とクロクマ系の種が存在します。両者の⼤きな違いは体格で、ヒグマ系は⼤型、クロクマ系は中〜⼩型です。

ヒグマ系は攻撃性が⾼いとされ、⼀般的にも危険性の⾼い熊と認識されており、北⽶にはこのヒグマ系も広く⽣息しています。

⽶国のEPA登録された熊よけスプレーの多くが、以下のような製品諸元において、⼀定の性能帯に収束しているのは事実であり、これは『北⽶のヒグマ環境』で求められる実務上の性能範囲と理解することが妥当です。

  • 噴射距離
  • 噴射時間
  • 内容量
  • カプサイシン濃度(⾟味成分の強さ=SHU値)

これらは、EPAが公式に数値基準として定めたものではありませんが、事実上の性能帯が存在しており、その背景には何らかの合理的根拠があると推測されます。

つまり、⽶国EPAの登録制度の本質は、『ヒグマへの使⽤を想定して構築されている』という点です。

本章のまとめ

以上のことから、熊よけスプレーにおける⽶国EPA制度は、制度上の基準性能・製品認証・性能審査・効果保証は存在しないものの、何らかの合理的な性能範囲を前提に『ヒグマに対応する熊よけスプレー』を登録する制度であるという理解が妥当です。

2. ⽶国EPA性能範囲とは異なる熊よけスプレーの⽇本における妥当性評価

前項で述べた通り、熊にはヒグマ系とクロクマ系が存在し、両種は体格・⾏動特性・危険性において⼤きく異なります。

北⽶と⽇本(本州以南)の⽣息環境の違いに加え、⽇本固有の地理的条件、使⽤される状況、使⽤者を取り巻く実務上の制約などを踏まえると、『北⽶ヒグマを前提としたEPAの性能範囲』と異なる⽇本の中型熊よけスプレーは、⽇本のツキノワグマに対して妥当性があると判断できます。

その根拠は次の通りです。

(1)熊種に応じた妥当性

北⽶と⽇本では⽣息する熊の種と⽣息域に⼤きな違いがあります。

⽣息域においては、⽇本では北海道にエゾヒグマが、本州以南にツキノワグマが⽣息しており、両種の⽣息域は海によって完全に分断されていることが⼤きな特徴です。

  • 北⽶:⼤型のグリズリー・ブラウンベア(ヒグマ系)、ブラックベア(クロクマ系)
  • 北海道:エゾヒグマ(ヒグマ系)
  • 本州以南:ツキノワグマ(クロクマ系)

熊よけスプレーでは、熊が⼤型になるほど強⼒な性能が必要だとされています。体格差の⼤きな両種に対し、ヒグマの撃退性能をそのままツキノワグマに適⽤することは、環境⾯・動物保護の観点からも慎重な検討が必要と考えられます。

これらのことから、『北⽶ヒグマを前提とする性能範囲』とは異なる⽇本の中型熊よけスプレーであっても、対象を⽇本のツキノワグマに限定した上で使⽤することは妥当だと⾔えます。

(2)噴射パターンの妥当性

熊よけスプレーとして使⽤する場合、噴射パターンは重要です。

アラスカ実験(2008)の報告によると、噴射パターンはフォグパターン(霧状)が望ましいと結論付けられています。

⽇本の中型熊よけスプレーをツキノワグマ対策として運⽤する場合にも、霧状噴射の製品が妥当だと⾔えます。

(3)噴射距離の妥当性

環境省が公表する「クマ類の出没対応マニュアル」において、クマ撃退スプレーについては『射程距離は5m程度と短い製品が多いため、⼗分クマを引き付けてから噴射する必要がある』と明記されています。

同マニュアルでは、こうした射程5m程度のスプレーを念頭に置きつつ、使⽤者が適切に使⽤できる実効距離や、⽇本の森林環境における視界・地形の制約などが解説されています。

これらを踏まえると、環境省は国内で使⽤される熊よけスプレーについて、EPA登録品に多い⻑距離型スプレーに『限定せず』、より短距離・中型クラスのスプレーも引き付けて使⽤するという前提で使⽤を想定していることがうかがえます。

この環境省の使⽤想定に照らせば、⽇本の中型熊よけスプレーも、おおむね5m前後の噴射距離を想定した製品であれば、⽇本の現場環境に受け⼊れられる実⽤的な選択肢と判断できます。

(4)成分の種類と強度の妥当性

⽶国EPA登録熊よけスプレーの噴射液の強度は、『北⽶のヒグマ』に使⽤することを前提としており、熊種の体格の違いから、ツキノワグマに対しては動物保護の観点からも性能が過剰となり得ます。

⼀⽅で、アラスカ実験(2008)では、OC(トウガラシ由来の抽出物:オレオレジン・カプシカム)を使⽤した熊よけスプレーが前提とされており、OCが有効であることが⽰されています。

なお、OCはカプサイシノイド(カプサイシン等の⾟味成分)を含む抽出物であり、その有効性は内部に含まれるカプサイシノイド濃度に依存し、SHUを単位とします。

以上のことから、OC系であり、かつ⼀定濃度以上のカプサイシノイド(=⾼SHU値)を含む熊よけスプレーであれば、『ヒグマを前提としたEPA登録の性能範囲』とは性能が異なっていても、⽇本のツキノワグマ対策において現実的かつ合理的に妥当性があるといえます。

(5)携帯性の妥当性

熊被害を抑制するために最も重要なのは、『熊よけスプレーを常に⾝近に携帯すること』です。

⽇本の本州以南と北⽶では、熊の種類と体格・想定遭遇距離・利⽤者の活動環境・地形・植物環境が異なり、結果として必要とされる熊よけスプレーの内容量(=本体サイズ)も異なります。

⽶国EPA登録熊よけスプレーは、『北⽶ヒグマ』を前提としていることから内容量も多く、必然的に重量がかさむ⼤型製品になりますが、それは携⾏性と相反するものです。

EPA登録の⼤型の熊よけスプレーは、北⽶の使⽤環境では合理的と⾔えますが、⽇本の現場や使⽤者の傾向を考慮すると、以下のような問題が⽣じる可能性があります。

  • ⽇⽶の体格差や体⼒差を踏まえると、常時携帯はストレスや疲労の原因となり得る
  • 密林・沢・斜⾯など、視界や空間が限られ、熊との距離が急激に縮まりやすい地形的特徴を考慮するとオーバースペック
  • ⼭菜採りや農作業といった軽装で活動する現場が多く、装備の負担が増⼤する可能性がある

また、⼤型の熊よけスプレーはその⼤きさや重さゆえ、携⾏時にリュックやバッグなどに収納しがちで、すぐに取り出せない可能性がある点にも留意が必要です。

その結果、遭遇時に『持ち歩かない = 無防備』や、『すぐに使えない = 無防備』という結果を招きかねません。

⽇本の中型熊よけスプレーには以下のような特徴がみられ、⽇本の環境では『携帯率を⾼める要因』として合理的です。

  • ⼩型で軽量
  • 登⼭・林業でも装備の負担が少ない
  • ポケットやベルトで現実的に常時携帯できる

以上の携帯率を⾼める特徴は、特に⽇本固有の利⽤環境に受け⼊れられるものであり、結果として次のような利⽤者の携⾏率を⾼めることに寄与します。

  • ⾼齢の利⽤者
  • ⽇常的に⼭林へ⼊る地域住⺠
  • ⼭間部で⻑時間活動をする⽅
  • 学校や⾃治体関係者の通年携⾏品

利⽤者の環境に応じて適切に中型熊よけスプレーを選択することは、携帯率の向上につながり、結果的に有事の実効性が⾼まります。

本章のまとめ

これまで述べた⽇本固有の妥当性から総合的に評価すると、『ツキノワグマのみ⽣息する本州以南』において、北⽶ヒグマを前提としたEPA登録品の性能範囲を『熊よけスプレーの最低基準』とすることは、制度的にも環境的にも実務的にも必ずしも妥当とは⾔えません。

⽇本のツキノワグマ対策における中型熊よけスプレーの妥当性の判断項⽬は、整理すると以下の通りと考えられます。

  • クロクマ(ツキノワグマ・ブラックベア)向けのフィールドテストで撃退性能が確認されていること
  • フォグパターン(霧状)噴射
  • 噴射距離がおおむね5m前後
  • ⾼SHU値に基づくSDS(安全データシート)など正確な製品仕様の公表
  • 現実的に可能な持ち歩き性

以上の項⽬を合理的に満たす製品は、『⽇本のツキノワグマ対策⽤熊よけスプレー』として使⽤し得ると判断できます。

3. 結論

本⽂書が導く結論は、以下の通りです。

  1. ⽶国EPA制度を『基準』や『認証』を司る制度とみなす誤った解釈を前提に、熊よけスプレーを論じる⾵潮には慎重な姿勢で臨むべきである
  2. ⽶国EPA制度は『北⽶のヒグマが前提』であり、⽇本国内のツキノワグマにそのまま適⽤するのはリスクを伴う
  3. ⽶国のEPA登録品の性能範囲は尊重すべきだが、⽇本の実情は考慮されていない
  4. 熊よけスプレーの現場では『性能』と『携帯率』の両⽴こそが安全を左右する
  5. 妥当な性能特性を満たす⽇本の中型熊よけスプレーは、日本のツキノワグマ対策における合理的な選択肢の⼀つである
  6. 地域特性を考慮せず、特定の性能範囲のみを唯⼀の正解とする論調は、⽇本の熊対策の現場に悪影響を生じさせる懸念がある

本⽂書が、熊対策に携わる皆さまの判断の⼀助となれば幸いです。

4. 補⾜:本⽂書の根拠となる⼀次情報⼀覧